政治史・社会史・文化史 30分で学ぶ分野別日本史まとめ
日本史は単なる暗記科目のようにとらえられがちですが、膨大な日本史を政治史・社会史・文化史に分け、それぞれの分野の時代の特徴と勉強の仕方を大きな視点から古代から現代まで解説しました。 分野ごとに整理し、各時代の特徴について理解することで、負担は軽減されます。
日本史の構造
日本史は1つの歴史ですが、分析する視点によって政治史・社会史・文化史に区別することができます。
それぞれ独特の歴史が展開され、普段から今学習しているのは何の歴史であるかということを意識しておかないと、膨大な知識を前にひたすら暗記を繰り返す悪循環に陥ってしまいます。
まず政治史・社会史・文化史がどのようなものであるかを解説します。
政治史
歴史学習といえばまず、ほとんどの人がイメージするのが、この政治史です。
政治史は政治の中心がどのように変化していったのかを年代別に追っていきます。
平安時代、鎌倉時代などの時代の区切りのメルクマールとなるのは政治を動かす中心人物の交代です。
政治の動きは日本の歴史のあり方にダイレクトに影響を及ぼします。
出てくる時代ごとに、どのような人物が政治を行う立場にあり、どのような意図をもって政策を行っていったのかを理解するのが学習の中心となります。
「政治史」について詳しく学ぶ
社会史
社会史というのは政治史という為政者レベルの視点ではなく、当時を生きた民衆の視点で歴史を眺める分野です。
各時代の経済の仕組みや農業のあり方など生活に根ざしたいわば、身近な歴史ともいえます。
政治史のような時代を動かすダイナミックさには欠けますが、近年の歴史研究では最もよく取り上げられるテーマであり、試験の出題も年々増加する傾向にあります。
ただ知識の羅列として学習するよりも、当時の人々の気持ちを推測し、政治史との関連を考えながら勉強するのが有効であり、歴史の面白味も理解できます。
「社会史」について詳しく学ぶ
文化史
文化史とは文字通り、芸術や学問などの時代ごとの推移をおう分野です。
文化史は、先に述べた社会史とはまた違う視点から、当時の人々の嗜好や生活に焦点をあてます。
文化史というと仏像の名前や、絵画の作品名などをただひたすら覚える無味乾燥な分野だと考え拒否反応を起こす人も多い分野です。
確かに試験に合格するにはこうしたものを正確に記憶しなければなりません。
そうしなければ試験に合格できないのは事実です。
しかし、どうせ勉強しなければならないのならば、もっと芸術的教養を養うつもりで高いレベルから文化というものを眺めてみてはいかがでしょうか。
各時代の文化の特徴を知った上で、どうして個々の芸術作品が生まれるに至ったかの背景をしっかり把握することが文化史攻略の第一歩となります。
「文化史」について詳しく学ぶ
どの分野から勉強すべきか
政治史・社会史・文化史の説明をしてきましたが、どの分野から学習すべきでしょうか。
迷われる方もいると思います。
最初に理解し、覚えるべきは政治史です。
政治は先にも述べましたように、時代のあり方、特徴というものを決定付けます。
時の為政者の思考が歴史というものを根本的に形作るのです。
そして、政治はその時代の社会や文化のあり方をも規定します。
例えば、仏教の導入に積極的な蘇我氏が政争に勝利したからこそ飛鳥文化をはじめとする当時の文化は仏教色の非常に強いものとなりました。
また、国風文化の起源も政治的争いにあります。
独裁を目指す藤原氏により中国へ左遷されそうになった菅原道真が、窮地を逃れるために遣唐使の廃止を提案したことから、日本独自の文化が生まれたのです。
このように、政治史を知らずに社会史や文化史の学習をすることは、歴史的流れを知らないまま深い領域に足を踏み込むという危険な勉強に陥ってしまいがちです。
何度も言いますが、政治史を知らずに社会史や文化史を理解しようとすることは全くのナンセンスなのです。
ですから、日本史が苦手な方は特に社会史・文化史を無視して、とりあえず政治史のみを古代から現代まで把握してみることをオススメします。
政治史を追うことで、各時代の大まかな特徴はつかめますし、歴史を学ぶ上で重要な分析的視点を養うことができます。
政治史の展開 -年代別-
政治史を勉強することが、日本史のみならず歴史の勉強の基礎になります。
政治史とは、その時代を動かす権力がどこに存在するのかということの変遷を追う分野です。
鎌倉時代、室町時代というように、時代が変化していくのは政治を動かす人物あるいは機関が変化したからです。
時代の区切りとされるくらいに重要な分野が政治なのです。
政治史を理解するには、まず政治を行う人物をしっかり把握し、その為政者がどのような意図をもって政治を行ったのかを明確にすることです。
紀元前1世紀頃から弥生時代が始まります。
ここでは本格的に始まった稲作により富を集積した人物が政治を行う地位につきました。
古代の政治史
彼らは自分の権力を正当化し、強化するために中国と外交関係を持ちました。
最初は小国が分立し、政治権力は分散していました。
しかし、その中から次第に権力を集中する大国が現れ、大王を中心とする朝廷を築いていきます。
このようにして5~6世紀には権力が朝廷に集中するようになりました。
その完成として厩戸皇子(聖徳太子)が冠位十二階(603年)や憲法十七条(604年)を制定しました。
天皇を中心とする中央政権が日本の政治を動かす体制が確立されたのです。
645年から始まった大化の改新による政治改革は、いかに朝廷が政治的権力を集中させるのかということを問題意識として行われたものでした。
その権力の集中を象徴するものが、大宝律令制定(701年)と平城京遷都(710年)でした。
奈良時代からは政治的権力をめぐる争いが激化し、政治史の勉強も本格的になります。
奈良時代の政治史の勉強は権力者が誰であったかということと、その反対者がいかに行動したのかということを把握することにあります。
どの天皇のもとで誰が政治を行ったのかということを明確にしておかなければなりません。
時代が推移すると時間の経過とともに、当初はうまく機能していた政治もうまく機能しなくなります。
公地公民制という制度が機能不全に陥った状況を打開する手段として、平安京遷都(794年)がなされたのです。
平安時代初期・中期(8世紀末~10世紀中頃)は天皇が親政を行い、いかに律令制度を維持するのかという観点から政策が実行されました。
そのような中から実力をつけ、他の貴族を排斥した藤原氏が強大な政治権力を手にし、摂政・関白として独裁的な政治を行うようになります。
そのような藤原氏による独裁に対する反発作用として上皇による院政が始まります。
この権力の攻防の着目点は荘園の支配権にあります。
藤原氏の力を排除したい上皇は荘園を実質的に支配していた武士を重用します。
このようにして院政の下で武士という新興勢力が力を持つようになります。
そして、平氏政権から鎌倉幕府へと武士による政治が定着していきます。
平安時代は天皇→藤原氏→上皇→武士と政治権力が移動したいわば過渡期です。
このような時代を理解するには特に政治の中心人物を理解するという政治史の学習の基本姿勢が重要になってきます。
中世の政治史
鎌倉幕府成立(1192年)から明治維新(1867年)までは完全に武士の時代です。
武士が主に征夷大将軍の下に集結して政治権力の中心に立ち、政策を実行しました。
鎌倉時代は当初、源頼朝が武士の棟梁としての絶大な影響力の下に独裁的な政治を行いました。
しかし、頼朝の死後は源氏の権力は揺らぎ、北条氏が執権として力をつけ政治を行いました。
この執権政治は2つの大きな戦乱を契機として変貌を遂げます。
北条氏の権力は承久の乱(1221年)により確立し、2度の元寇(1274・1281年)により衰退しました。
鎌倉時代の政治史を理解する上で重要なのは、この戦乱が支配階級である武士とりわけ御家人にどのような影響を及ぼしたのかということです。
北条氏の政治に公然と反発して政治権力を天皇の下に戻そうとしたのが後醍醐天皇です。
鎌倉幕府滅亡後の後醍醐天皇による建武の親政の興亡は時代を動かしているのが、武士であることを証明する過程でもありました。
そして、室町幕府の時代となり、足利氏の下で武士による政治は継続します。
室町時代は戦国時代へと突入する時代であり、特に応仁の乱(1467年)以後、政治権力は分散していきます。
3代の足利義満の下で頂点を迎えた将軍権力は衰退していき、中央から地方へと政治権力の中心は移っていき分散していきます。
その行き着いた結果が全国各地に有力者の乱立する戦国時代なのです。
室町時代は足利義満の時代までは幕府の機構と政策を理解するようにして、その後は次々と起こる乱や一揆など反対勢力がどのような意図で行動したのかを把握すると次第に理解できるようになります。
分散した政治権力は再び統一へと向かうようになります。
その過程が、織田信長、豊臣秀吉の時代であり、最後は江戸幕府の成立(1603年)で完成します。
江戸幕府は鎌倉幕府、室町幕府と比べて将軍の政治権力が極めて強い政権でした。
初代の徳川家康から3代の家光までの時代は内政的には幕藩体制の成立、外政的には鎖国の完成の過程を理解することが重要になります。
その後は、慶安の変(1651年)の影響で幕政が武力を背景とした強権的なものから儒学思想を背景にした文化的なものへ政治のあり方が大きく変化したことを意識しなければなりません。
5代の綱吉の時代に幕府が全盛期を迎えた後は、財政政策を中心にいかに幕府による政治を維持していくのかということに政治の関心が移りました。
そのような観点から正徳の治→享保の改革→田沼時代→寛政の改革→天保の改革と19世紀半ばまで変革の時代が連続することになります。
ここで重要なのは、一つ一つの改革の目的を把握した上で、いかなる政策が実行されたのかということを学習していくことです。
多くの複雑な改革を一度に理解しようとすると混乱するので、個別に攻略していく方が得策です。
近代の政治史
時代に適合しようとする改革により政治権力を維持してきた江戸幕府に計り知れない大きな衝撃を与えたのがペリー来航(1853・54年)でした。
これにより開国を余儀なくされた江戸幕府から政治権力は次第に力をつけていた雄藩に移っていきます。
幕府と雄藩による政治権力の争いの帰結が明治維新ということになります。
開国期を理解するには幕府による政治に対し、雄藩がいかなる目的をもって対応したのかということを念頭に置くことが大事です。
明治維新により江戸幕府の衰退により分散傾向にあった政治権力は再び中央集権へと向かいます。
内閣制度の創設(1885年)と大日本帝国憲法(1889年)により近代国家としての日本が成立するまでの時期はいかに中央政府に権力を集中するのかということを問題意識として政治の大きな改革が行われました。
明治時代前半は、中央集権化のために様々な政策が実行されました。
あまりにも膨大なのでまずは基本的な政治の流れをおさえた上で、徐々に細かいところに意識を向けていかないと攻略は困難です。
内閣制度ができてからはそれぞれの内閣がどのようなことを行ったのかを順番に理解していくことが重要です。
内閣制度は現在まで続きますから、これは明治時代だけでなく以後の時代にも通じる学習姿勢となります。
歴代内閣の順番を覚えてしまうくらいになるまで繰り返し勉強することが重要です。
内閣制度は明治時代の間は主に藩閥政治を維持するための手段でした。
藩閥内閣と民衆の力を原動力とする政党による政治権力をめぐる争いが本格的に始まります。
そして、大正時代に入るころには、議会で多数を占める政党が内閣を組織するという体制に政治の動向は変わっていきます。
政治の主体が次第に今まで政治の舞台に出番のなかった一般民衆の下へと向かうようになります。
その象徴が2度の護憲運動(1912・1924年)でした。
大正時代から5・15事件(1932年)までは政党政治の全盛期です。
どのような政党が政権を握ったのか、その推移を理解していく必要があります。
満州事変(1931年)以後、太平洋戦争終結(1945年)に至るまでは戦争の時代であり、それぞれの内閣がどのような対外政策を取り、戦争体制を整えるためにどのような内政を行ったのかを把握する必要があります。
現代の政治史
第二次世界大戦後、自民党と社会党による55年体制の成立までは、強権的な明治以来の政治をいかに民主化していくのかという視点で、GHQの指令の下に多くの民主化改革が実行されました。
ここに至って日本史上初めて、本当に民衆が政治権力を握る体制ができたのです。
GHQによる戦後改革は非常に分量が多く、一度で理解しようとするのは困難です。
まず、政治分野・経済分野・外交分野というように分類した上で、それぞれの分野ごとに理解していくのが大事です。
55年体制が成立した後の政治は、歴代の内閣がどのようなことを行ったのかということを個別に把握していくのが得策です。
特に世界情勢との関連で国内政治が動くことが多いので、少なくとも基本的な世界史上の事件は理解しておくようにしましょう。
ここまで多くの字数を割いて、政治史の流れを政治権力の所在を中心に概説してきました。
政治史は歴史の方向性を決定づける重要な分野なので分量を多くしました。
ここで述べた基本の学習姿勢を念頭に置いて政治史の学習を進めてください。
政治史の展開 -時代別-
政治がどのように推移したかということを各時代ごとに解説します。
詳細な解説は他に譲るとして、ここでは大きな流れを述べます。
旧石器時代・縄文時代
この時代はまだ政治という概念はありませんでした。
部族のリーダーはいたかもしれませんが、政治的動きというものは記録されていません。
旧石器と縄文は考古学の分野であり、歴史学とはアプローチが少し違います。
取りあえずは重要語句を中心に記憶し、詳しいことは後回しにしても構いません。
弥生時代・古墳時代
弥生時代になると稲作が本格化します。
コメの集積が可能になると財力、貧富の差が生まれ、階級が生まれます。
そして権力者というものが現れ、人々を統治するようになります。
さらには、国というものも生まれ戦争をするようになります。
そして邪馬台国に代表されるような大国が形成されていきます。
最終的には古墳時代(4世紀~7世紀)の最初の4世紀頃に九州から東北地方までを統治する大和政権が成立しました。
豪族が連合して政治を行いましたが、その中でも蘇我氏が台頭し、他氏を排斥するとともに仏教の普及に努めます。
そして6世紀末から7世紀初頭に推古天皇の下で蘇我氏と協力して政治を行ったのが厩戸皇子(聖徳太子)です。
その後、蘇我氏の専制政治はますます激しくなり、これに対する反発も強まりました。
そして大化の改新へと向かうことになります。
この時代の前半は為政者と中国とのかかわりを追うようにし、後半は蘇我氏の動向を理解することで流れがつかめます。
奈良時代
大化の改新の目的は、天皇の下で中央集権的な政治を行うことでした。
646年に出された改新の詔では、公地公民制と班田収授法の採用が明確に示されています。
この後、中国のような律令体制の整備と都城の造営が歴代の天皇の下で行われました。
そして、最終的に701年大宝律令が制定され、710年に平城京に遷都され奈良時代が始まります。
奈良時代の政治は大化の改新の功労者である中臣鎌足の子孫である藤原氏と橘諸兄などそれ以外の統治者との政治的争いの連続です。
最後には孝謙上皇の信任を得た僧の道鏡が皇位を狙うに至り、政治と仏教とのかかわりも問題視されるようになりました。
奈良時代は権力の移動を追うことが重要です。
事件が起こった時に誰が政治を行っていたのかということを把握するようにすべきです。
平安時代
仏教の影響を避けるため794年桓武天皇は平安京に遷都しました。
この後、天皇が直接政治を行い、崩壊しかけていた律令体制の立て直しに当たります。
その中で藤原氏内の主導権争いがおこり、最終的に北家と呼ばれる系統が権力を握ります。
この藤原氏は他の貴族を排斥し、摂政と関白の地位を世襲することにより独裁政治を始めます。
藤原氏は栄華を極めますが、藤原氏の親戚ではない後三条天皇が即位すると再び天皇が直接政治を行います。
その後上皇による政治である院政が始まり、そこで重用された武士が台頭し政治の中心に出てきます。
平氏が政権を握ったものの長くは続かず、最終的には源氏に滅ぼされます。
平安時代は江戸時代よりも長くひとくくりに学習するのは難しいです。
そこで、天皇親政→藤原氏独裁→院政→平氏政権というように4つに時代を分けてそれぞれの特徴を理解するのが有効です。
鎌倉時代
平氏を滅ぼし、征夷大将軍に任命された源頼朝は1192年鎌倉に幕府を開きます。
しかし、源氏の将軍による政治はわずかしか続きませんでした。
北条氏が他の御家人を滅ぼして執権として独裁的に幕政を行います。
承久の乱(1221)により東国のみならず、全国の支配権を手にした執権政治は全盛を迎えます。
しかし元寇(1274・1281)が起こると事態は変わります。
命懸けで戦ったにもかかわらず恩賞をもらえず没落する御家人たちと専制政治の下で栄える北条氏の対立が激しくなりました。
そして親政を目指す後醍醐天皇の下に集結した武士たちが鎌倉幕府を倒します。
鎌倉時代は承久の乱・元寇という大戦乱の後に政治の仕組みが大きく変わっています。
この点に留意して流れをつかみましょう。
室町時代・戦国時代・安土桃山時代
後醍醐天皇は自ら政治を行いますが、十分な恩賞を得られなかった武士は不満を募らせました。
そして足利尊氏が反旗を翻し、新たに光明天皇を擁立し、室町幕府を開きます。
ここに後醍醐天皇の南朝と光明天皇の北朝という2つの朝廷が争うこととなりました。
この対立を収束させ、室町幕府の全盛期を生み出したのが3代の足利義満です。
義満の下で室町幕府の政治機構は確立され、強大な力を持つ守護の討伐も行われました。
しかし、義満の後、室町将軍の権威は反乱や一揆などにより失墜します。
その極致が応仁の乱でした。
将軍の後継、各守護大名の身内争いが大乱に発展し、全国に波及、もはや幕府に頼ることなく各地の実力者はそれぞれの手法で領地を統治し、領土の拡大を目指して戦いに明け暮れるようになりました。
戦国時代のはじまりです。
日本の各地に有名な戦国大名が多数出現しましたが、その中から抜きん出たのが織田信長です。
全国をほぼ手中にしかけた信長ですが、本能寺の変で自害し、次いで豊臣秀吉が天下統一を成し遂げます。
室町時代は南北朝期→義満の時代→幕府の衰退→戦国時代と明確に時代を区切ってそれぞれの出来事を整理するのが効果的です。
安土桃山時代は信長と秀吉の時代に分けてそれぞれの政策を理解するのが効率的です。
江戸時代
信長、秀吉の下で実力をためていた徳川家康が秀吉の死後、ついに天下取りに乗り出します。
関ヶ原の戦い(1600)に勝利し、征夷大将軍に任命されると江戸に幕府を開き、豊臣氏も滅ぼし徳川の支配を確立します。
3代の徳川家光の時代までに幕府の組織や鎖国など江戸幕府の根本政策が定められました。
その後、社会不安をきっかけに幕府は武力で諸大名を従わせる方針を改め、儒教の価値観をもとにした文治政治へと転換します。
そして5代の徳川綱吉の下で元禄時代という最盛期が生まれました。
しかし幕府の財政は悪化し、19世紀前半まで改革の時代となりました。
正徳の治に始まり享保の改革・寛政の改革・天保の改革と時代に合わせた幕政が模索されました。
そしてペリー来航を迎えます。
幕府は鎖国政治を維持できなくなり、政策の大転換を余儀なくされます。
この頃には薩摩藩、長州藩などの有力な藩も幕政に干渉するようになり外国を巻き込んでの動乱の時代となります。
その中で1867年、江戸幕府は滅亡します。
江戸時代は、綱吉までの安定期→改革期→幕末に分けて考える方がよいです。
綱吉までの安定期は幕府の機構や政治体制をおさえるべきです。
改革期は誰がいつどのような政策を行ったのかということを念頭に置いて、個別に攻略するのが有効です。
幕末は外国に対する考え方をキーワードに出来事を把握するのが有効です。
明治時代・大正時代
明治時代初期はいかに中央政府に権力を集中させるかということが大きな課題であり、政策の根本思想でした。
欧米列強並みの近代国家を作り上げるための様々な試みがなされました。
これが一応完成したのが内閣制度の創設(1885)と大日本帝国憲法の制定(1889)です。
そして近代国家・日本は日清戦争・日露戦争・第一次世界大戦と戦いを重ねるごとに勢力を広げ、欧米列強と肩を並べるようになります。
政党政治も本格化し、その全盛である大正デモクラシーを現出します。
内閣制度ができるまでの時代は、それぞれの政策が中央集権化にいかなる役割を果たしたのかを考えて学習するのが効果的です。
内閣制度ができてからは各内閣が特に政党との関係でどのような考え方を持って行動したのかを念頭に置いて学習するとよいです。
戦争は戦いの中身よりも、戦後の影響に着目すべきです。
昭和時代(戦前・戦中)
昭和初期は恐慌が日本を直撃しました。
さらに満州事変(1931)を皮切りに対外戦争の処理にも追われます。
このような恐慌と戦争の昭和初期に政党に代わって力を得たのが軍部でした。
もはや軍部の承認なくしては内閣も組織できなくなります。
そして太平洋戦争へと突入することになります。
戦前昭和時代も内閣ごとに政策を理解していくという姿勢が大事ですが、戦争をからめた国際情勢も複雑になるのでまずは国内政策をおさえ、その上で外交を勉強するのが効率的です。
昭和時代(戦後)
戦後はまず、1955年の自社55年体制までを区切りにして政策を見てゆくのが良いです。
敗れた日本はGHQの指導の下、民主主義国家への転換と経済的自立を目指します。
改革はあまりにダイナミックで複雑なので各分野における改革がどのような目的でなされたのかを把握するのが第一歩です。
1955年以後は各内閣がどのような目標を掲げていたのかをまず把握すべきです。
その上で海外の事件にどのように対応したのかを優先的に学習しましょう。
社会史
冒頭でも述べましたが、政治史をできるだけ早く古代から現代まで理解するのが最優先です。
その観点から社会史についてはきわめて簡潔なポイントの記述にとどめます。
旧石器時代・縄文時代・弥生時代・古墳時代
旧石器時代と縄文時代は石器や土器、狩りの対象など生活スタイルの変化を比較すると理解しやすいです。
弥生時代は稲作の本格化が生活様式にどのような影響をもたらしたのかを最優先で把握すべきです。
古墳時代は古墳の様式・装飾品・埋葬者に着目して時代を区切って勉強するのが効率的です。
奈良時代・平安時代
奈良時代に班田収授法が本格的に運用されると次第にその実施の難しさが露呈します。
その中で生まれてきたのが荘園です。
奈良時代は三世一身法や墾田永年私財法などの国家施策により成立した初期荘園のシステムの理解が不可欠です。
平安時代は貴族とりわけ藤原氏と地方の役人がどのような意図で荘園を経営していたかを把握した上で武士の成立を見ていくと理解しやすいです。
鎌倉時代・室町時代・江戸時代
鎌倉時代から社会史の学習対象は農業と商業がどのように行われ、進化していくのかということが時代の特徴とともに問われます。
農業では耕作方法、農具、肥料などに商業では貨幣、店の構造、輸送方法などに着目して時代ごとにまとめるのが効率的です。
その上で、農民・商人と幕府の関係を時代ごとにまとめていくと発展的になります。
明治時代・大正時代・昭和時代(戦前)
明治時代になると近代国家形成に向け富国強兵をスローガンに工場や銀行などというシステムが日本にも導入されます。
こうした工場や銀行が人々の生活スタイルにどのような変化をもたらしたのかを把握するのが第一歩です。
その上で重工業主体の産業革命が財閥の形成を促し、一方で労働組合や社会主義の発展にもつながったことを理解しましょう。
大正時代と昭和時代は明治時代に成立したシステムがより複雑化していくので、まずは明治時代の理解が必要です。
昭和時代(戦後)
戦後はまず占領政策により経済システムがどのように民主化されていったのかを把握しなければなりません。
その後は景気が生活に及ぼした影響や国際情勢の変化が経済をどのように変えていったのかを理解しましょう。
文化史
何度も言いますように政治史が優先ですので文化史は後回しでも構いません。
しかし、作品名など覚えることもかなり多いので試験とのタイミングを調整して記憶の時間を確保しなければなりません。
文化史は時代背景を理解した上での記憶が中心です。
その意味では苦痛が多い分野であります。
ここではまずおさえるべき時代背景の説明をします。
なお、旧石器時代~古墳時代については政治史、社会史で触れたものと重なりますので飛鳥時代からはじめます。
飛鳥文化(7世紀前半)
仏教導入を推進した蘇我氏や聖徳太子の時代の文化。
交流の深かった中国のみならず高句麗、百済の影響も受けています。
白鳳文化(7世紀後半)
中央集権化を目指した時代なので国家と仏教のかかわりが強いです。
天平文化(奈良時代)
鎮護国家をキーワードに国家が仏教文化を作り上げた時代。
「古事記」、「日本書紀」、「万葉集」などの重要な書物も現れてきます。
弘仁・貞観文化(9世紀)
律令制を維持しようとした時代(桓武天皇~嵯峨天皇)の文化。
呪文や加持祈祷などを行う密教への信仰が集まりました。
天台宗と真言宗が開かれたこともその表れです。
唐風の漢詩文集などが特徴的です。
国風文化(10~11世紀)
摂関政治最盛期の文化。
遣唐使の廃止により中国の影響が薄れ、日本独自の文化が展開されました。
末法思想を背景に極楽浄土往生のための阿弥陀仏に信仰が集まります。
寝殿造などの建築や文学にも注意が必要です。
院政期文化(12世紀)
地方への浄土教の普及が特徴的です。
都だけでなく各地に仏教作品が生まれました。
武士の台頭を反映してか軍記物語などが多いです。
鎌倉文化
武士による新しい時代を反映してか新仏教が次々と成立。
新しい仏教の宗派の特徴を覚えるのが最優先です。
室町文化
南北朝時代の文化、足利義満の北山文化、足利義政の東山文化に区分できる。
それぞれの文化、特に北山文化と東山文化の対比がよく問われており、まずは大まかな特徴をつかむのが記憶する上で効率的です。(金閣寺と銀閣寺の対比などが代表的)
桃山文化(16世紀後半~17世紀初め)
戦国時代を象徴して城郭建築が代表的で城を装飾するための芸術が発展しました。
活版印刷術の伝来など南蛮人の影響も大きいです。
歌舞伎が始まったのもこのころです。
寛永期の文化(17世紀前半)
鎖国が完成するころまでの文化で海外貿易により富を得た豪商が主な担い手です。
日光東照宮や数寄屋造が代表建築です。
元禄文化(17世紀後半~18世紀前半)
上方中心の町人文化で浮世絵、歌舞伎、人形浄瑠璃が現れます。
俳諧が松尾芭蕉によって完成されます。
学問では、本草学などの自然科学が発展します。
化政文化(18世紀末~19世紀前半)
江戸中心の町人文化で元禄文化を受けてそれを発展させたものが多いです。
浮世絵、歌舞伎、人形浄瑠璃がさらに進化します。
俳諧に代わり川柳や狂歌が流行し、様々な種類の町人文学が生まれました。
学問では西洋文化の影響を受けた蘭学が発達します。
明治時代の文化
欧化政策や自由民権運動の影響が大きい。
西欧の手法を取り入れ、自然科学で特に飛躍的な進歩が見られました。
西洋画に対抗して日本画も発展。
大正時代の文化
マルクス主義の影響でプロレタリア文学が現れたのが特徴的です。
哲学、歴史学、民俗学などで日本独自のものが生まれました。
大衆文化の象徴としてラジオと雑誌が流行します。
昭和時代の文化
高度経済成長を背景にいかに生活しやすくするのかという視点が文化にも取り入れられました。
そして、テレビや洗濯機など新技術が戦後に普及します。
まとめ
ここまで日本史が政治史・社会史・文化史に分かれ、中でも政治史を最優先に学習すべきことを述べたうえで、各時代の特徴を本当に大まかに解説してきました。
日本史は最終的には記憶しないとなかなか得点にはつながりません。
しかし、記憶の大きな助けとなるのは時代の特徴をしっかり理解しておくことです。
各時代の流れ、特に政治史の流れをしっかり把握することこそ日本史攻略の要です。