縄文/弥生/古墳時代をイラストで解説 | 図解で学ぶ日本史

縄文時代、弥生時代、古墳時代をイラストにまとめました。
縄文時代の土偶、貝塚の形成や、弥生時代の水稲農耕社会、集落の違い、古墳時代のヤマト王権(ヤマト政権)の成立から朝鮮・中国との関係まで、ぱっと見でイメージをつかむことができます。 詳細を学ぶ前の全体のイメージ把握にご利用ください。

縄文時代 狩猟・漁労・採集の暮らし

紀元前13000年~紀元前4世紀頃まで続いた縄文時代は、狩猟・漁労・採集の暮らしでした。
有名な、縄文土器が発明されたことにより、食材や水の貯蔵、煮炊きができるようになりました。
また、石を打ち砕いて作った打製石器が使われていた旧石器時代に対し、縄文時代は石を磨いて作った磨製石器が使われていた新石器時代に当てはまります。
その他、狩猟のために弓矢や槍が多く使われていました。
住居は地面に穴を掘って作った竪穴住居が普及し、貝殻を破棄する貝塚なども形成されました。
縄文時代をイラストで解説_図解で学ぶ日本史

弥生時代 水稲農耕社会

紀元前4世紀~紀元前3世紀頃まで続いた弥生時代は、水田稲作農耕の暮らしでした。
大人数で連携した米作りが始まり、村(集落)の形成が進み、穀物を貯蔵する高床倉庫、弥生土器や、木製農具、石庖丁など、農耕の道具が発展しました。
また、中国や朝鮮から青銅器や鉄器が伝わりました。

米作りの収穫量の違いにより、貧富の差が生まれ、土地と水を求めて争いが発生し、その結果、村が統合して国(小国)ができました。
その中で、全体を治めていたのが邪馬台国の卑弥呼と言われています。
弥生時代 水稲農耕社会をイラストで解説_図解で学ぶ日本史

弥生時代 環濠集落・高地性集落

弥生時代は、連携した米作り、争いの発生もあり、地域、地形、目的に応じて、特徴的な集落が作られました。
環濠集落は、周りを掘りで囲った集落で、堀や、逆茂木、乱杭といったもので外敵の侵入を防いでいました。
弥生時代の中期から後期にかけて存在した高地性集落は山地に多く存在し、狼煙(のろし)を用いて近辺集落と連絡を取り合っていました。
弥生時代 環濠集落_高地性集落をイラストで解説_図解で学ぶ日本史

古墳時代 ヤマト王権(ヤマト政権)の成立

3世紀半ば~7世紀頃まで続いた古墳時代は、古墳が盛んに造営されました。
古墳は、大王(おおきみ)や豪族など、土地を治めている権力者を埋葬するための墓です。形によって、前方後円墳、前方後方墳、円墳、方墳などがあります。また、古墳に飾る素焼きの人形である埴輪(はにわ)が作られました。
また、各地で争いが起こる中で、大王を中心とした有力豪族たちによる連合政権であるヤマト王権(大和朝廷)が作られました。ヤマト王権では氏姓制度という、豪族を地位や職種でランク付けした世襲的身分制度により、支配体制が築かれました。
古墳時代 ヤマト王権(ヤマト政権)の成立をイラストで解説_図解で学ぶ日本史

古墳時代 朝鮮・中国との関係

古墳時代には、朝鮮・中国との関係も多くみられ、高句麗(こうくり)、百済(くだら)、新羅(しらぎ)の三国で争われていた三国時代の中で倭国(日本)も百済に協力し、高句麗との戦いに敗れています。
その後、高句麗を倒すために中国の南部に当たる宋(そう)に対して使者を派遣したりしました。また、朝鮮、中国からも渡来人と言われる人々が渡来したことで、仏教、儒教、乗馬、須恵器などの多くの技術、文化が日本に伝わりました。
古墳時代 朝鮮・中国との関係をイラストで解説_図解で学ぶ日本史

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